アジャイル宣言の話の続きです。「アジャイル宣言の背後にある原則」の何が自分の心の中で消化できていない部分を書きます。
以下、ソフトウェア開発者を一般化したように書きますが、言うまでもなく世の中には多様な開発者がいます。簡単に一般化できるものではないことは理解しています。ただ、ある一定の傾向があると思っているだけです。いちいち例外もあります、とは断りませんが、例外があるのは当然です。
さて、ある種の人たちには、開発者は顧客視点が欠けている、という題目が信じられています。
これは必ずしも真実とは異なります。
ソフトウェア開発の過程で技術的好奇心が顧客視点を上回る場面があるのは否定しません。使う人の気持ちより作る楽しさに目を奪われることがあるのも否定しません。しかし純粋に技術的好奇心だけで開発が終始するプロジェクトは、ソフトウェア開発としては稀です。利用者がいる前提で作るソフトウェアで、使う人の満足度に対する意識が皆無なまま開発をする開発者がいれば奇跡的な存在です。
これを聞いて疑わしいと思う人もいるかもしれません。自分の知る開発者がそんな広い視野を持っている気はしないぞ、と思うかもしれません。
広い視野を持つ開発者ばかりだとは主張しません。あまり認めたくない事実ですが、どちらかと言えば開発者の視野は狭いんじゃないかな、とも思います。これは他の職種の人に比べて、という意味です。
ただ、開発者に欠けているのが顧客満足度の視点というのは誤解だと思っています。では何が欠けがちかと言うと、典型的な話が@ITのこの記事にある視点です。
端的に言うと金の話です。ソフトウェア開発で利益を出せるかの視点が、開発者の場合、相対的に低いんだと思います。
アジャイル宣言に話を戻します。
開発者にとって顧客満足を最優先するのは、これだけを取り出せば(一般に信じられているほど)難しい話ではないと思っています(目の前の問題に気をとられて部分最適になることはあるにせよ)。変更の要求を受け入れるのも、これだけ取り出せば(程度にもよりますが)そんなに難しくありません。
大きな問題は、顧客満足最優先の姿勢が、会社の利益最大化と多くの場合対立する事実です。
物事を単純化して言ってしまうと、前述の@ITの記事のように、愚直にアジャイル宣言に従うとビジネスがわかっていない、と烙印を押されかねません。もっと単純化して言ってしまえば、こういう開発者は会社で出世できません。
アジャイル開発と(会社)利益の追求は、両立可能なんでしょうか。未だに答えがでません。いや、答えがでないは嘘です。会社利益を考えれば考えるほどアジャイル開発から離れざるをえない、という自明な答えを前に、否定したい気持ちをどう整理するかの葛藤が現実です。
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