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これは元祖Ariel Advent Calendar 2011の1週間前カウントダウン記事です。

Software Design 2011年10月号を読んでいます。今頃(9月発売の)10月号と言われそうですが、2ヶ月ほど前に3月号を読んでいたことを思えばかなりの進捗です。

この号の第1特集は「FreeBSD絶対主義」です。念のため書いておくと、一応、自分はかつてFreeBSDユーザでした。10年以上前ですが。

まだすべてを読んでいませんが、予想に反して面白い記事もあります。水野さんの記事は、前半はともかく、後半のZFSの部分は面白い記事です。ブートしないぐらいに環境を壊しても、ZFSのスナップショットで元に戻せる話です。GNU/Linuxでも同じことがしたいと思いました。何を使うのが現実的な解か知りませんが。

個人名は書きませんが、痛々しいと思える記事もあります。痛々しいと言うのは、認めたくない現実から目を逸らすかのような記述です。残念ですが、(少なくとも)10年前から比べると、FreeBSDの人気は落ちているのが現実だと思います。

こう書くと、OSの人気って何ですか?とか、人気が落ちている根拠を具体的に示してくださいとか、OSにとって人気は重要なんですか?とか、カーネルだけのLinuxとディストリビューションとしてのFreeBSDを比較する時点で間違っているので意味のない主張です、などの砲弾が飛んできそうです。でも流石に10年以上前にMLで高圧的な態度を取っていた人たちは一線から退いている気がするので杞憂かもしれません。

ぼく自身はFreeBSDのMLに投稿をしたことのないROMでしたが、一部の古参メンバーの発言に良い気分はしませんでした。誰の発言か覚えていませんし、当人に対する誹謗の意図はありませんが、こんなエピソードを覚えています。MLで誰かが返答(reply)の意味で「レス」という言葉を使ったのに対して、「レスって何ですか」と噛みついた人がいました。返答の意味で「レス」を使う文化は、あまりインターネットにはなく、パソコン通信発祥の用語ではありました。しかし、文脈から「レス」が返答の意図なのは自明でした。噛みついた側の論理は、コンセンサスを得ていない用語を説明なしに使うのは(コミュニティに対して)失礼だ、というものでした。

これはたまたま覚えているエピソードのひとつですが、当時、新入りに対する排他的な態度を隠さない古参が(一部)いたように感じました。百歩譲って、本当に「レス」の意味が分からなかったとしても、高圧的な態度を取る必要はなかったはずです。丁寧に、質問すればいいだけです。

当時のFreeBSDのMLやもう少し前の時代のfj時代に見られた、この手の高圧的な古参たちは今の自分の反面教師です。自分が古参になったら、新しい人に丁寧に接しようとずっと思っています。自分がそういう古参になれているのか自分自身では客観的に評価しづらいですが、気持ちとしては今でも持ち続けています。

ここまで前置きです(長い)。

認めたくない現実から目を逸らしている、と他人事のように書きました。しかし、これ自分にもあります。

ここ数年、薄々感じていましたが、目を逸らして抑圧してきました。今年も終わりに近づいているので思い切って書いてしまいます。

VimのほうがEmacsより勢いがある(…気がする)

認めたくない現実ですが、認めざるをえません。

下記はVim on Cloud9のスクリーンショットです。Vimのように編集できます。

このまま行くと、クラウド上のエディタ(って何?というツッコミは無しで)のデファクト標準はVimかもしれません。


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