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金曜日、KLab元CTOの仙石さんからありがたい話をいただきました。

話は、開発者の採用、教育、評価あるいは開発者の心構えなど多岐に渡りました。いくつも興味深い話がありましたが、個人的に一番聞いて良かったと思える話を紹介します。表題の件です。

若いプログラマの中には年をとってもマネージャになりたくないと言う人がいます。他人事ではなく自分もそのひとりでした。若い時にマネージャ志望のキャリアパスに語ることは、プログラマとしての自分の誇りを傷つける気がしていました。マネージャを偉いと見なす風潮が、技術に対する裏切りのような気分がしていました。技術者をマネージャより低いと位置づけるのが許せませんでした。

たぶんピュアだったのでしょう。そんな経験があるので、今でもピュアな若者は好きです。本物のプログラマになるには、技術だけに一心に向き合うピュアな期間が必要だと信じています。そして、技術に真摯に向き合うピュアな若者に、マネージャしかキャリアパスがない世界は見せたくありません。マネージャ以外のキャリアパスを示してあげたい思いがあります。

この問題は古くて新しい問題です。解決策として多くのソフトウェア会社は、プログラマに対してマネージャ職とエキスパート職の区分でふたつのキャリアパスを用意しています。名称は会社によって違いはありますが、部下を持って人を管理する職能を目指すか、部下を持たず技術に専念する職能を目指すか、ふたつのキャリアパスを用意するのは常套です。

ここまではこの業界では半ば常識です。自分の中で今までしっくり来ていなかったのがエキスパート職がどう偉くなるのか、という部分です。一般論で言えば技術を極めるのが目指す道です。しかし、技術を極めて偉くなっていく姿が自分の中でうまく説明できませんでした。

会社の中で、若いプログラマに対してエキスパート職というキャリアパスがあることは説明できても、そのキャリアでどうやって偉くなっていくのか適切に示せませんでした。偉くなるには技術を極めろと伝えることはあっても、不明瞭さに違和感が残り続けました。これがマネージャ職なら説明は簡単です。なぜなら部下が増えることが偉くなることと等価だからです。偉いマネージャは部下が多い、単純明解です(これの良し悪しを言及する気はありません)。

エキスパート職に関する仙石さんの見解は単純かつ明解でした。エキスパート職の職能は、まわりに良い影響を与えられるか、だと言いきりました。

これでエキスパート職のキャリアパスも単純明解に説明できます。どれだけ多くの人に良い影響を与えられるかで測れるからです。影響は簡単に目に見えないので、マネージャ職に比べると依然として偉さの見える化は弱い部分です。しかし、技術を極めたほうが偉いよりは、より多くの人に影響を与えられるほうが偉いのほうが指標が見える化できそうです。

特定の狭い技術に閉じこもっていると、たとえその分野を極めても、まわりの誰にも良い影響を与えていなければ会社として高い評価はできない理屈になります。会社としては合理的です。

最後に誤解のないようにひとつだけ書いておきます。会社で偉くなるべきだとは一言も書いてはいません。会社で偉くなりたいと思うのは単なるひとつの価値観です。偉くなるのは給料を多くもらえるということです。ただそれだけのことです。何を価値観にして生きていくかは個人の自由だからです。


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