ボトルネック
しばらく前から、情報収集に日々どれだけのコストを割くべきなのか、個人的に悩んでいます。というよりも、面倒がって情報収集の努力をほとんど放棄している自分を正当化したいだけかもしれないのですが。
コンピュータのデバイスには、メカニカルな機構を含むデバイスと純粋に電子的なデバイスがあって、通常、後者の方が圧倒的に速いと言えます。大量のデータを処理するような場合、CPUの性能的にはまだまだ余裕があるのに、磁気ディスクへの入出力がボトルネックとなってしまって、処理全体のパフォーマンスが決まってしまったりします。
もちろん、こんなことは、コンピュータシステム開発に携わる人にとっては当たり前の話なので、そのことについて語りたいわけではありません。ここからが正当化の屁理屈です。
人間の脳はCPU+メモリに例えることができると思います。脳の記憶は必ずしも揮発性のものではないので、不揮発性のフラッシュメモリも含まれているかもしれませんが、まあ何しろ、演算と高速な情報格納と転送が可能なデバイスな訳です。
一方、コンピュータの代表的な外部記憶装置である磁気ディスクに該当するものとして、昔は紙を媒体とした書籍や雑誌やノートなどが利用されていました。そして、磁気ディスクの容量単価の劇的な低下に反比例してコンピュータの内臓ディスク容量が圧倒的に増加したように、人間にとっての外部記憶も、コンピュータの利用やWebの利用の進展に伴って、飛躍的にアクセス可能な情報量が増大しています。
多くの場合、紙媒体にしろWebなどの媒体にしろ、人は視覚を通して文字や図形などの情報を入力しています。そしてなんらかの思考結果を、咽頭や口唇の運動によって話すか、指先の運動によって筆記するかキーボード操作するかして、出力するのです。
脳内が電子的な処理で高速であるのに対し、目や指による入出力はメカニカルで格段に低速になってしまいます。ちょうどコンピュータの外部入出力装置がボトルネックとなったように、人間にとっての情報処理のボトルネックもやはり入出力装置にあるのは明らかです。
目や指とかはレガシーなデバイスかもしれませんが、代替するような仕組みを今は想像できませんし、それにあんまり想像したくもないですし。そう考えると、コンピュータの大量のデータ処理での問題と同様に、人間の場合にも、情報の入出力に追われてしまうと、高速な演算装置が性能を持て余してしまうのではないか、と。そしてそれは、資源の無駄なのではないか、と。入出力に追われるのではなく、演算装置を有効活用しなければならないのではないか、と。
などと、怠惰な自分を正当化する屁理屈で終わらせないために、ちょっとだけ、ボトルネックの解消を図る方法も考えてみましょう。例えば、生のデータを入力するのではなく、自分以外のより性能のいい演算装置を外部ライブラリとして利用したりするという方が、よりパフォーマンスが向上するのかもしれません。それは、Proxy Patternのようなものかもしれません。あるいは、P2P(Person to Person)とかフォークソノミーなのかもしれない、とも言えなくもないでしょう。
ただ、そうやって仮にパフォーマンスが最適化されたとして、それで万事めでたいのかというと、しかし、そうではないとも思うのです。それはなぜか?......続くかもしれない。
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Re:ボトルネック
I/Oがボトルネックであるという仮説が正しいのであれば、これで何も問題はないのです。
そうすれば脳の発熱も減って、環境に優しい人間になれます。