記号と語彙と構文と意味
シニフィアンとシニフィエとか語りだしそうなタイトルですが、キャラクターとワードとシンタックスとセマンティクスと言えば、途端にソフトウェア周縁のお話の雰囲気に変わりますね。
セマンティックウェブという言葉には違和感があるというところから話が始まります。所詮は、意味を伝達するための構造を規定しているだけで、それはシンタックスなのではないのか、と。
じゃあ、単純な単語の辞書でなく、概念レベルのオントロジー辞書のようなものを充実させれば、コンピュータは意味を理解できるのかというと、それも違いそうです。「知っている」と「理解する」ということの間には、どこまで語彙や知識を充実させても永遠に埋まらない溝があるのではないでしょうか。
「理解する」には、主観的な経験の裏づけが必要だと思います。「理解」とは誰にとっても同じという保障はないもので、「理解」する主体の経験的な価値体系や、「理解」する時点での主体の主観的状況など、非常に広範なコンテキストの中でしか「理解」は成立しないはずです。そして、理解されない「意味」なんて、それこそ意味ないものでしょう。そう考えると、現在のソフトウェアの概念では、そういう主観的経験を構成するのは難しいように思えます。
では、仮にコンピュータには意味の理解が難しいとして、その壁を越えるためにどんな工夫が存在するのか、です。
人の主観的理解を人工的に再現するアプローチが難しければ、人の主観的理解の結果を記号として扱う、というのは代替手段としては理に適っていると思われます。それは、GoogleやAmazonの武器にとりこまれていますし、ソーシャルなんとかとか、フォークソノミーとかも該当します。
シンプルかつダイレクトに人の主観的な知恵を活用するための方法としてQ&A掲示板のようなものもありますが、GoogleやAmazonのようにアルゴリズムとして隠蔽した方が、神秘性があってかっこいいですよね。プトレマイオスの理論みたいに無茶している数式っぽくて。
さて、いつの日にか、プトレマイオスの理論のように、GoogleやAmazonの得意技は、コペルニクス的に画期的で、よりエレガントな発想に駆逐されるのでしょうか?できれば、私も、それでも地球は回っている、とか言ってみたいものです...
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