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「創造」はどこまで許されるのか?

前のエントリーで、「直感」は実は慣習的だということと、だから新しいUIを検討する際には「直感」を創り出す位に考えてみてもいいのでは、と書きました。
その中で、Joel Spolskyの「ユーザモデルは、ほかのプログラムがどう振る舞うかユーザが見てきたことを反映している」という言葉を引きました。実は、その言葉には続きがあります。
「UIに関する決定のほとんどに関して、あなたは何かをスクラッチからデザインする前にほかの有名なプログラムが何をやっているか調べ、できるだけそれをまねるようにする必要がある」
つまり、創り出すことは避けるべきだと明確に述べているのです。

Joel Spolskyの元のコラムでは、真似る対象として、マイクロソフトのアプリケーションを想定しています。プログラマー自身の好き嫌いよりも、ユーザーのメンタルモデルへの支配的な状況を考慮すべきだという論旨です。
確かに、ユーザーにとって慣れ親しんだ操作が前提とできれば、新しいUIを学習するためのコストを避けられます。
しかも、支配者としての経歴が浅いアプリケーションのUIは、一定の慣れがある分は「直感的」に作用し、一方でまだ陳腐化していない分は、ほどよく「先進的」という評価となる美味しいポジションなのかもしれません。
facebookの存在感について井上さんが触れている、エンタープライズソフトウェアでTwitterやfacebookが参考とされるというトレンドは、そういう意味で美味しい旬の味が求められているのかな、と思えます。もちろん、facebookやTwitterのソーシャルな機能が重要なのでしょうが、機能を体現するためのUIの印象も大きく関係しているはずです。

では、ソフトウェアを開発する際には、マイクロソフトか、Twitterか、facebookか、いずれかのUIをそっくり踏襲しなければならないのでしょうか?それでは、そもそもTwitterやfacebook自身、独自のUIを工夫すべきでなかったということになってしまいます。
ソフトウェアの世界にも残酷な自然淘汰が存在します。そして、生き残ったUIが結果的に利用者に適応したUIとなるとしても、そこには常に進化の可能性も残されています。
しかし、自然の進化とは違い、進化を偶然の突然変異に委ねる必要はありません。例え残酷な生存競争があるとしても、進化の方向を決めるのは、自然でも神でもなく、開発者なのです。

Category(s)
UI/UX
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