2006/12/08
カリスマについての考察
カリスマであることの絶対条件は無意識性である。それと同時に彼は無意識な状態において徹底した意識的無知を演じなければならない。無意識な知を意識的に認識したり、自分がなぜカリスマであるかの理由を見事に意識的に解明した場合には、まもなく彼のカリスマ性は消え去ってしまう。それゆえ意識的な知のもとで構成される彼の言葉にはカリスマ性がないし、意識して彼がカリスマもどきを演じようなどとする場合には言うまでもないがカリスマのかけらも存在しない。つまりカリスマであり続けるには無意識的に無意識を演じるカリスマ性が必要であり、そのゆえに第一のカリスマ性を持って生まれてきたとしても、第二のカリスマ性を持たない限り、彼は人生の前半で彼のカリスマ性を自ら消しさってしまうのである。
カリスマには異端者が多いと思われるかもしれないが、それは間違いである。カリスマはその無意識性によって人を酔わすのである。内容は直接に関係しない。ただ、異端であるからカリスマ的であると人々が勘違いしてしまい、そのことによって少なからずのカリスマもどきがカリスマのサンプルに紛れこんでしまい、正確な推測をくるわしているだけのことである。
カリスマは人ではない。およそ動物である。虚無も感じないし不安も感じない。彼は彼ではない。
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