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自律能力について

僕はもうかなり以前から世間一般にいわれる「天才」という概念を純粋な能力に関する天賦の才とその能力に先天的に整合する自律能力の綜合だと考えています。つまり、天才的な能力を持った人間の中にも、先天的に能力に整合した自律能力に恵まれて世間の賛美を得る真に天才な人間と、先天的に能力に整合した自律能力に恵まれず、どうにも才能はあるのだけれどいまいちぱっとしない準天才とも言うべき人間が存在するのです。比率的には圧倒的に後者が多いでしょう。また僕自身も天才的な能力はさておいて後者に属するものだと固く信じています。

両者の自律能力には一見雲泥の差があるようですが、自律能力が客観的に動作していないという点において差違は全くありません。なぜなら、真の天才のほうはまさに先天的であるし、そうでないほうは自律能力が機能していない(もっとも肉体的な点は別)からです。僕は僕自身のことに関して他のことより興味がありますし、加えて後者のほうが断然多いのは明らかなので今回はそちらに話を絞っていきたいと思います。

自律能力とはどのようなものかと問うていくのはあまりにも哲学的ですので、次のように定義してしまいましょう。つまり、自律能力とは自己の客観性を以ってはじめて自律能力そのものであり、それ以外においては先天的なものかあるいは肉体やその他もろもろに翻弄される自我の虚像となります。道徳的に善い人生を歩むのにも良い仕事をするのにも真の自律能力というのは大変役に立ちます。なぜなら、自律能力は、自分の心がどのような方向に向いているかや、自分が何を考えていて何を悩んでいるのかを、分析し解決する道を提供する力を持つからです。物は考えようとはよく言ったのもで、例えば生まれてこのかた心の汚い畜生がたえず世間を憎むのは、憎める世間に安心を覚えるからで、仮に彼が真の自律能力を突然身につけて、ついで己の浅はかな慰めに卑劣さを覚え、世界との調和のためにそのような生活に終止符を打ち、新たな一歩踏みだすことができたとしたら、と考えるといささか不可能なことでもないように思うのです。

さて、少し話が脱線しました。つまるところ、僕はこのような能力を利用して是非とも仕事に生かしたいと考えているのです。言うまでもないと思いますが、自律能力はあらゆる仕事の改善の究極的な前提となります。いくらスキルを付けたところで、それをうまく利用する方向に自分を自律しなければ全然意味がありません。その点をふまえたうえで、ではどのようにして自律能力を利用するのかを考えてみます。

自律能力を発揮させるための自律能力を先天的に持っていないから自ら自律能力を発揮するのは不可能だという哲学的な突っ込みには異存がないのですが、ここでは習慣という人間の有用な七つ道具の一つを持ち出すことにより十分対処できると思います。習慣はアプリオリな知識に意識を集中させることにより時間的論理矛盾を解決する力を持っています。例えば、習慣的に自律能力を発揮させたいと願いつづけるならば、いつのまにかその習慣が自律能力を発揮させるエネルギーになるのです。もっとも、習慣化するための自律能力云々の話になるので、結局のところ根性論を持ちださなければなりません。あるいは、僕のように環境の力をかりるというのもありでしょう。多くの人がほぼ例外なく自分の環境に不満を抱いているはずなので、それを改善したいという気持を利用するのが即効性のある手段になるでしょう。つまりどこに問題があるかも含めてその気持を自分に帰依させるのです。まあ、これも例の問題を含むわけですが。

自律能力を発揮させるための自律能力の問題に関しては正直手の打ちようながありません。僕のように不幸な環境に恵まれるか、刺激的な出来事に遭遇するかなど、ほとんど運命にまかせてしまうしかないのが現状です。ただし、方法がないわけではありません。おそらく考えうる最善の方法は、習慣化するために必要なエネルギー源を自分の身の周りに置くことでしょう。そうすれば習慣化が途絶える可能性が減るでしょう。

まとめると、自律能力を身につけるためには、自律能力を身につけることを目標とする何かを習慣化すること、習慣化するためのエネルギー源を身の周りに置くこと、以上を長期間継続すること、が必要になります。一度自律能力を身につければ、自分の問題点を見つけて改善するばかりでなく、何が問題かの認識を変えたり、自分の考え方をすっかり変えてしまうことも可能になるでしょう。もちろん限度はありますが、できることはぼぼ無限に近いでしょう。

# 全然まとまっていないどころか、読み返してみて人を小馬鹿にしたエントリだと自覚したことをとりあえず断っておきます

# というかわけわからん記述のおかげで正しく理解できる人がいない気がする

# まあいいや、投稿

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philosophy
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Re:自律能力について

Posted by ohyama at 2007-04-30 22:55
習慣によって自己のジメント能力の向上を図ろうという内容だと認識した上で、コメントさせていただきます。
非凡な才を持ち、そして持つに至る歴史があるアリエル社員の前で半人前の自分が発言するのは恐縮ですが。個人的には『日記』が非常に効果的だと思っています。
ブログではなく『日記』。非形式的ですが言葉の定義を "その日の反省と翌日の抱負を自分に対して語る場所" とします。
公開はあまりお薦めしません。理由は二つ、都合の悪い情報を意識的に書きづらくなる事と嘘をつく可能性がある事。これらは自分に限った事かもしれませんが、非公開によってありのままを書ける事は類推できると思います。
その効果ですが、ある身近な人のすばらしい言葉を借用すると。そこに書かれている内容は紛れもなく『自分が決めたこと』になるわけです。日記を書いた上でなあなあで過ごす日は、書かずに過ごした結果無駄に終わる日に比べて頻度として少なくなりました(あくまで自身の経験談です)。
しかし、『明日〜をしよう。』という非形式的に『決める』事もあるかもしれませんが、日記は考えを言葉に直し、文法構築して、手を動かして形に残すという意味でも、自分に対する決意の"重み"が違います。
このように日記を書くという事は、自分で自分を律するという意味で、自律と言えると思います。つまり、日記は有用な自律のツールだと結論づけます。

Re:自律能力について(修正パッチ)

Posted by ohyama at 2007-04-30 23:06
内容の修正をするにも投稿した内容を削除する事はできないようですので、修正パッチを当てました。つまらない文章で紙面をさいてしまい申し訳ありません。

--- blog.txt 2007-04-30 23:04:40.000000000 +0900
+++ corrented_blog.txt 2007-04-30 23:05:56.000000000 +0900
@@ -1,5 +1,5 @@
-習慣によって自己のジメント能力の向上を図ろうという内容だと認識した上で、コメントさせていただきます。
-非凡な才を持ち、そして持つに至る歴史があるアリエル社員の前で半人前の自分が発言するのは恐縮ですが。個人的には『日記』が非常に効果的だと思っています。
+習慣によって自己のマネジメント能力の向上を図ろうという内容だと認識した上で、コメントさせていただきます。
+非凡な才を持ち、そして持つに至る歴史があるアリエル社員の前で半人前の自分が発言するのは恐縮ですが。個人的には『日記』も非常に効果的だと思っています。
ブログではなく『日記』。非形式的ですが言葉の定義を "その日の反省と翌日の抱負を自分に対して語る場所" とします。
公開はあまりお薦めしません。理由は二つ、都合の悪い情報を意識的に書きづらくなる事と嘘をつく可能性がある事。これらは自分に限った事かもしれませんが、非公開によってありのままを書ける>事は類推できると思います。
その効果ですが、ある身近な人のすばらしい言葉を借用すると。そこに書かれている内容は紛れもなく『自分が決めたこと』になるわけです。日記を書いた上でなあなあで過ごす日は、書かずに過ご>した結果無駄に終わる日に比べて頻度として少なくなりました(あくまで自身の経験談です)。

Re:自律能力について

Posted by takatsuka at 2007-05-05 10:16
「自ら」と「自ずと」の違いですかね?
"運命にまかせてしまう"のが「自ずと」で、
"習慣化するために必要なエネルギー源を自分の身の周りに置くこと"が「自ら」の素、
ってことだと、凡庸でオトナなぼくは理解しました。

「自ら」というのは、とても重要なことだと思います。
でも一方で、人間ってのは結構、無力で、究極的には「自ずと」には逆らえないところもあったりもします。
でもでも、「自ら」な行動は、「自ずと」な偶然を招くという側面もあるのだと信じたいとも思います。
ということで、いずれにしろ、これからの matsuyama さんに期待しているわけです。

なんてことを言われるのが、"僕のように不幸な環境に恵まれる" 一因になっているのかも、と思うと、
逆説的に役に立っていることが嬉しい(?)ような、やっぱり申し訳ないような、
複雑な気持ちです...

Re:自律能力について

Posted by matsuyama at 2007-05-06 03:26
> しかし、『明日〜をしよう。』という非形式的に『決める』事もあるかもしれませんが、日記は考えを言葉に直し、文法構築して、手を動かして形に残すという意味でも、自分に対する決意の"重み"が違います。
> このように日記を書くという事は、自分で自分を律するという意味で、自律と言えると思います。つまり、日記は有用な自律のツールだと結論づけます。
同意です。が、僕は日記に書いていくより頭の中に秘密の考えとして蓄積していくほうがが好きです。ここらへんは個人差がでるところでしょうね。

> なんてことを言われるのが、"僕のように不幸な環境に恵まれる" 一因になっているのかも、と思うと、
> 逆説的に役に立っていることが嬉しい(?)ような、やっぱり申し訳ないような、
> 複雑な気持ちです...
僕は「世俗的に不幸」という意味で表現したので全然問題ないです。それに不幸はもっと別の場所にあると知りましたので。もっとも当時は自分が不幸であると信じきっていましたが(笑)。人生波のごとしです。
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