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24才、夏の思い出

先週の土曜日、元Lotusの人たちの集まりがありました。IBMを辞めるMさんの壮行会でした。Mさんとはアメリカで一緒にNotes開発をした仲です。Notes開発者を含めて、20数人の元Lotusの人たち(IBMに残っている人も多数)が集まりました。

Lotus時代、自分は人づきあいも悪く(まあ、今でもつきあいは良くないですが)、社内で目立つわけでもなく、そもそもLotus在籍時間の半分近くアメリカにいたこともあり、あまり他の人を覚えていないかと思っていましたが、意外に覚えていました。

こっちが一方的に覚えているだけで相手から忘れられていると悲しいですが、意外に覚えられていました。吉田さんに「吉田さん、ぼくのこと覚えていますか?」と聞いたら、「覚えてるわよ。初日(注:井上がLotusに行った初日)、入り口まで迎えに行ったのを覚えているし、あなたがサンダル履いてたのも覚えているわよ」と言われました。そんな細かいことは忘れていました。女性は細かいことまで覚えているものです。なるほど、あの日、自分はサンダルを履いてLotusに行ったのか。今は大人になったので、毎日スニーカーを履くようになりましたが。

Lotusに入って最初、Notesのリリース間際だったのでテストチームに配属されました。ものの2ヶ月もしないうちに、当時の上司に「テストばかりでつまらないです。コード書けないんですか」と直訴しました。

凡庸なマネージャなら「製品理解もせずに生意気言わないように。与えられた職責をきちんと果たしてください」とでも言いそうですが、当時の上司は違いました。「じゃあ、アメリカ行きますか」と言ってくれて、そのまますぐに手はずを整えてくれました。今から思えば大胆な決断です。そもそも当時のぼくは何も実績を示していません。アメリカ生活で精神的に参ってしまうリスクもあったはずです。見えないところで大きな尽力をしてくれたのだと思います。当時の上司は酒井さんで、開発部のトップは栗村さんでした。ぼくは何も知らず、ただアメリカに行ってコードを書くのだな、と思っただけでした。

この時のアメリカ出張は3ヶ月でした。そして自分にとってはじめての海外体験でした。はじめての海外で日本人がいない環境で3ヶ月働くのは、普通に考えれば不安を感じそうです。しかし、不思議と不安はありませんでした。その後、より長期(2年間)のアメリカ出張をしましたが、この時の方が出発時に不安がありました。あまりに何もわからないので逆に不安を生む材料すらなかったのだと思います。

この時の経験は自分にとって貴重な経験でした。細かなことが今でも記憶に残っています。

スチュワーデスが外国人だったので飛行機に乗ってすぐ日本語が通じない世界になりました。食事時、スチュワーデスの言葉が「アムレ オア チキン」と聞こえました。この時、自分が何を考えたか今でも覚えています。

「アムレ??? いきなりこの程度の英語に聞き返すのは恥ずかしいし...チキンでいいか...いや待てよ、聞き取れない英語から逃げて、聞き取れた単語に逃げてていいのだろうか...そんな態度だと、この先聞き取れない英語から逃げることになるぞ...それはダメだ」

と考えて、思い切って聞こえたまま「アムレ」と応えました。

出てきたのは「オムレツ」でした。予期していれば「オムレッ(ト)」と聞こえたのかもしれません。少なくともその時のぼくには「アムレ」と聞こえたのです。

どうでもいいエピソードですが、こんな小さなことも覚えています。

飛行機の到着が遅れて、ボストン、ローガン空港に着いたのは夜9時過ぎでした。真っ暗な外に出て、タクシーでホテルに向かいました。時刻のせいか、あるいは、そもそも空港からタクシーを使う人があまりいないせいか、人がほとんどいないタクシー乗り場でした。

タクシーの道中は1時間弱でしたが、まったくと言っていいほど、タクシーの運転手の英語がわかりませんでした。笑ってごまかす典型的日本人にだけはなるまいと固く思い続けていました。客観的に見れば、ぶっきらぼうに質問を聞き返した挙句、単語だけの返答を返す嫌な奴になっていたかもしれません。

こんなに英語がわからなくてもなんとかなるだろうと思っていました。心配しても現実は変わらないからです。心配しても現実は変わらないという考えは、当時も今も同じく思う気持ちです。

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