ダグラス・エンゲルバート、アラン・ケイ、マービン・ミンスキー 「プログラマーのジレンマ」から
買って4ヶ月も経ちましたが、ようやく「 プログラマーのジレンマ 」を読みました。
ソフトウェア開発のドキュメンタリという点で「 闘うプログラマー 」と比較したくなりますが、「 闘うプログラマー 」に比べると面白さは落ちます。「 闘うプログラマー 」は読むと熱い気持ちになれます。「 プログラマーのジレンマ 」は読むと心静かになります。達観とでも言うのでしょうか。しょうがない、人生こんなものか、という気持ちです。
読んで色々と思うところがありました。「 闘うプログラマー 」より、自分との同時代性を感じます。チャンドラーと マルチスケジューラ の開発のシンクロニシティの多さに、時折、笑ってしまうほどでした。
マルチスケジューラ との関連話は次回に譲り、冒頭にでてくるトピックが興味深かったので取り上げます。
登場人物が3人います。ダグラス・エンゲルバート、アラン・ケイ、マービン・ミンスキーの3人です。3人とも教科書にでてくるような伝説的人物です。かつ存命です。
3人のコンピュータに対する姿勢の対比が描かれています。
ダグラス・エンゲルバートのNLSの紹介から始まります。NLSの目的は「ユーザがアイディアを保存し、調べ、構造的に関連づけ、相互参照する」ことを可能にするものです。現代のコラボレーションソフトそのものと描かれています。このような試み自体が特異的という話ではありません(本書で言及していませんが、テッド・ネルソンのザナドゥなどもあります)。
ダグラス・エンゲルバートを特徴づけているのが、NLSで人間の知性向上を目指していたというくだりです。人間の理性を補助、あるいは知性を拡張する人工器官としてのコンピュータを目指したとあります。この志向を、人間と機械の「共進化」と名づけています。人間を進化させるために必要なことは、機械の使いやすさではなく性能だと考えたようです。使う人間が最初の数日を快適でいられるために性能を落とす気はなく、高性能で万能を目指したという説明に、この姿勢が端的に示されています。
これと対比されるアラン・ケイは、人間の快適さのために機械の使いやすさと利便性を追求した技術者として描かれます。
もうひとり対比されるマービン・ミンスキーは、コンピュータそのものに知性を求めました。ダグラス・エンゲルバートが、人間と機械が共に進化すべきと考えたのに対し、マービン・ミンスキーは機械そのものに人間と異なる知性の進化を求めたと言えます。
この対比には興味深いものがあります。
コンピュータ(機械)に対する態度は3者3様です。機械を人間の拡張器官(この響きにはマーシャル・マクルーハンを思わせる部分があります)と見なして人間自体の進化を目指したダグラス・エンゲルバート、人間生活を便利にする、あるいは快楽を与える存在としての機械を志向したアラン・ケイ、そして人間と異なる知性を機械に夢見たマービン・ミンスキーです。
この3人の誰に一番強く共感を感じるかで、技術者としての志向が分かりそうです。
ぼくはこの3様の中では、ダグラス・エンゲルバートに最も強く共感します。別種の知性を夢見るマービン・ミンスキーにも共感を感じないことはありませんが、どちらかと言えばダグラス・エンゲルバートです。アラン・ケイの志向はあまり好きではありません。人間がバカになりそうな気がするからです。
チャンドラーの産みの親、ミッチ・ケイパーもダグラス・エンゲルバートに共感しているとあります。
もっとも、時代の勝者はアラン・ケイでしょう。アラン・ケイ自体が勝者という感じはしませんが、アラン・ケイ的な、ヒトに優しく、ヒトに快楽を与えるコンピュータ(機械)が勝利しているように思うからです。
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