語らなければ伝わらない『知』について
先日、works mozilla 拡張機能の勉強会に参加した。
手軽で面白い技術だと思ったのだが、あまり流行っていないらしい。そして、browser.xul が呼び出すJavaScript 関数についての解説をしているサイトが極端に少ないらしい。つまり、『知りたくばソースを見ろ』といった状態という事だ。
別にソースを気合いで読み解くのも悪くないのだが、ソースを媒介としたコミュニケーションの限界を指摘する人も居り、自分自身もLinuxカーネルの機能や動作を学習する上で、ドキュメントのお世話になり、解説サイトや解説書籍に至ってはバイブルとなり、その言葉の通り携帯している。
このように、語らなければ伝わらない『知』が存在するらしい。その上で、両者の関係をイコールで考えたくなる。
技術は自ら語ることをしない。だからこそ、作者が有形・無形の痕跡を残すのだろう。つまり本やドキュメントに限らず、その技術のすばらしさを解いて回っても同じ事だという事。それは先日参加した LinuxWorld Expo/Tokyo 2007 の Ruby のまつもとさんを見てそう思った(これについての感想は、諸事情により自重する)。
人も同じ事が言えるのではなかと思うことがある。
嘘だという声が聞こえてきそうだ。その気持ちはわかる。つまり、技術がただそこに佇むだけで、そこに存在するだけの対して、人は自ら自分の位置と情報発信する存在だからである。
しかし、ハードボイルドな人間が居る。自分はこれを、何も語らずに何かを生産しつづける人間と定義する。今ここで、自らの存在を示し、ブログ等で自分の活動を頻繁に報告し、さして生産能力を持たない自分は、その対象とはなりえない。
上記の存在を石で例える。広大な場所に黒ずむただの石もあれば、キラリと光る宝石もある。まさに玉石混淆な世界。だが、これらは自ら光源を持ち発光しているわけではないので、光が無い場所ではダイヤも単なるの石になってしまう。
ここで、Master Hamagishi について考えてみる。
自分がアリエルに来てから、もうすぐ1年が経つ。やっとアリエルという組織がどんなものか把握してきたと思っている。
かつて、Mr.Hamagishi に会ったときと、今の Master Hamagishi の印象は大部変わった。これは氏が変化されたという事ではなく、自分の認識が変化したからである。当時抱いた氏に対する自分の印象は、弱い人だった。これは肉体的に弱いという事ではなく、自分を始点、井上さんを終点と考えたベクトルで若干自分寄りの存在だと思っていたという事。
アリエルにおいて、このベクトルはその人物の重要性を表すものであると認識していた。
さてその根拠だが、当時の自分の目からは、多くの人間に仕事を押しつけられ、何かと文句を言われている氏の背中が小さく見えた。
だが。その当時抱いた氏に対する印象も、自分が氏の実力に対してあまりに無知であったが為である。
今自分が思っている事をここへ書く事は即ち、自分の無能さを自らによって証言する事に他ならないのだが、既に周知の事実だと予測し、話を続ける。
昨今の自分の境遇の変化によって、Master Hamagishi の仕事の一部を引き継ぐ事となった。
これにより、これまで当人の口からは決して語られる事が無かった事実を、氏の仕事を代行する事によって知る事となる。
近い話では、メールサーバーとネームサーバーの移行作業における話がある。
組織におけるメールシステムは極めて重要であり、これにおける設定の不備やトラブルで幾度と無くお叱りを受け、これまで見たこともない井上さんの鋭い眼光を見る事もあった。
トラブルが起き、解決できず、時間が迫り、パニックになりかける。そして、Master Hamagishi に泣き付いた。
氏は涼しい顔で、問題点を指摘し、何がまずいのかを言い当てる。自分はそれに従い、問題を解決する。
一瞬の出来事であった。それは、氏の卓越したネットワークの知識と経験が成す技なのだろう。
このネットワークの知識と経験について、井上さんや大谷さんは言わずもがなだが、ネットワークについて調べる度に Master Hamagishi の名前が自分の中でそこに並記され、その凄さに関心する。何故なら Master Hamagishi は、このような広大な分散システムを支配する複雑な技術の根底を理解し、それにより社内ネットワークはもより、AirOne の基幹システムを支える人間の一人なのだから。
氏が、Arielの重要人物である事は言うまでもない、自分が月曜から姿を眩まそうとも、業務においてはさしたる支障は発生しないだろうが、Master Hamagishi がいなくなったら大混乱が生じる事は想像するに易い。
かつて思った、氏は仕事を押しつけられているという大いなる誤解をここで訂正したい。氏が優秀であるが故に氏に仕事が集まるのだ、それも氏でなければ解決できない仕事が...である。そして、氏がかつて叱責されていたのは、クリティカルな部分を扱うがゆえの宿命なのだろう。
先のメールサーバーの話のついでに、この仕事は運と Master Hamagishi の力に恵まれ、大失敗をする事はしなかった。これにおいて、自分は幾度と無くroot 権限で直線的な動作をするスクリプトを作成、実行してきた。今思えば、この行為は銃弾が飛び交う中、地雷源を目隠しで歩くようなものだ。
人がノーミスで仕事を成功させつづける事は考えにくい。幾度か被弾する事もあっただろう。些細なミスなら笑って済まされるかも知れないが、重要な仕事でミスを犯した場合、叱責される事もあるだろう。つまり、氏がこれまでに叱責されていた事は、氏に重要な仕事が回って来る事の証明なのだろう。
そんな師の大きな背中を見ながら、自分は知識を付けた上で、師に感化され、師の技を盗み、大きくなりたい。
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Re:語らなければ伝わらない『知』について
少し誤解があるので訂正します。firefox拡張機能自体は、それなりに(firefox作成者の目論見程度には)流行っていると思います。流行っていないと感じるのは、XULアプリケーションの方です。
> browser.xul が呼び出すJavaScript 関数...
この言い方も微妙ですが、まあ、この辺の説明はあまりしなかったので。mozilla開発者の名誉のために補足しておくと、文書化がよくされている領域もあります。XULは良く文書化されています。XPCOMで提供されるインターフェースの文書化はあまり無いようです。
Master Hamagishiは、技術的な強さもさることながら、精神的な強さ(タフさ)が際立っています。先月のSoftware Design(http://gihyo.jp/magazine/SD/archive/2007/200705)の特集記事に「KKD[勘・経験・度胸]に頼らない機器管理/運用方法」がありました。Kの点でMaster Hamagishiに追いつくことは可能かもしれませんが、Dの点では無理です。ダークサイドに落ちない限りは。