自由への道
AirOne ProjectAという名前には、投企(フランス語でプロジェ)の意味も重ねてあることはあまり知られていません。
P2Pは、しばしばクライアントサーバ(以下C/Sと略)と対比されます。この対比が間違いと言うつもりは無いですが、個人的には、このふたつに大きなギャップを感じていません。もちろん、P2Pについて語る時、対比や差を際立たせる方が論旨が明確になるので、対比を語ることはあります。用語を使う以上、定義をはっきりさせたいので差分を明確化します。しかし、差を明確化したからと言って、そこに大きな距離を感じているわけではありません。
2004年8月(http://dev.ariel-networks.com/blog/inoue.php?blogid=2&archive=2004-8-5)に「P2Pについて語ってみる」という記事を書きました。今読み返してみると、「ネットワーク透過性」への信念が薄れた、と誤解を生みそうな記述もありますが、信念は無くなっていません。どこまで信じるかという距離感は時と場合で揺れ動きますが、ネットワーク透過は基本的な哲学です。この哲学の前では、P2PとC/Sの違いは些細なものです。プログラミング的な立場でも、絶対に壊れない何か(C/Sで言えばサーバ)を仮定すると問題は簡単になりますが、サーバも壊れると仮定すれば、問題は劇的に簡単にはなりません。この立場でも、P2PとC/Sの差は、質的な差ではなく量的な差です。
で、P2Pと対比するものとして、実は心密かに思い描いているのはASPです。はっきり語ったことはありませんが、思い切って言ってしまうと、ぼくはASPが嫌いです。ASPは用語の対象が広く、サーチエンジンを提供しているGoogleも嫌いなのか、と突っ込みがあるかもしれません。Googleは好きでも嫌いでも無いのですが、明日からGoogleを使うな、と言われるのも何なので、嫌いと言ったASPは、「データを預けるタイプのASP」に意味を限定します。ここで、データがどこにあるかを問題にしているのはありません(ネットワーク透過性から見るとデータの物理的位置は本質ではありません)。問題にしているのは、データをコントロールする自由です。誤解を避けるためにもうひとつ補足すると、「好き嫌い」と「良い悪い」の判断は全く別物です。ASPは良くないのかと問われれば、判断できない、がぼくの答えです。他人がASPを喧伝するのも使うのも自由です。他人が何を良いと思うか、何を好むかには関心がありません。
ぼくは、自分が書いた文書を読む自由や、書き換える自由を、誰かの都合で奪われたくありません。書き続ける自由も同じです。データをコントロールする自由とはそういうことです。
AirOneは発売から4年近く経っています。残念ながら4年間動き続けたAirOneのプロセスがあるとは思えませんし、パブリックサービスも止まったことが多々あります。しかし、AirOneで自分が書いた文書が、決定的に読めなくなる事態は4年間起きていないはずです。この(ある種の)高可用性は、原理上、今後も変わりません(正確には、証明書の期限が切れる約30年後に特異点は存在します)。ASPで、サービス開始から4年間、自分の書いた文書を読む自由が一瞬たりとも失われたことがないサービスがあれば教えてほしいものです。
便利であることと自由であることが相反した時、どちらを選ぶのか常に自分に問いかけています。
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