「ビジョナリー・カンパニー 2 - 飛躍の法則」を読みました

実は、この本を読むきっかけになったのは、
大人のたしなみ「ビジネス理論」一夜漬け講座

「忙しくて読めないビジネスパースンの必須科目を厳選。渋井真帆が、ポイントをしぼってやさしく解説。」
という惹句で、8つの有名なビジネス理論を要約してある、身もふたもない本でした。
その著名なビジネス理論の中で、ビジョナリーカンパニー2だけは、オリジナルも読んでみようと思えたのです。
結果的には、「ポイントをしぼって」ある方で十分でしたが...
で、GOOD から GREAT に変身できた企業と変身できなかった企業を分けた肝心のポイントは、
- 第五水準の経営者
- 最初に人を選び、目的はその後に設定する
- 厳しい現実を直視しながら、最後には必ず勝つという信念を持つ
- 針鼠の戦略
- 人ではなくシステムを管理する規律の文化
- 技術に振り回されない
(もちろんこの要約も、一夜漬け講座の方を参照しました)
4つ目の「針鼠の戦略」は、井上さんのエントリの「ライフサイクルイノベーション」流に言えば、「コア」になるのではないかと思います。
要は、徹底的に勝負できる領域に集中せよ、ということです。
その選択の基準についてオリジナルでは色々と解説されているのですが、そこら辺りはこういうビジネス理論の常で、そうできれば苦労しないよ的な突っ込みどころは満載です。
ただ、針鼠にしろ、コアにしろ、そういうフォーカスは、わかりきったことですが重要だと思います。
しかし、それよりも何よりも、そもそもオリジナルも読もうと思わされたポイントでもあるのですが、2つ目と3つ目の考え方が、私には興味深いのです。
要は、人材だよ、そして集まった仲間と一緒に、逃避的な楽観主義に陥ることなく、しかし決して諦めずに進むべきだよ、ということです。
そこら辺りが、目的地が定まっていない状態でバスに人を乗せて、それから行き先を決めるという例え話で説明されていました。行き先に同意してバスに乗った人は、行き先が変更されればバスを降りてしまいますが、バスそのものや同乗者に惹かれて乗車した人は、行き先によらず乗り続けてくれるのです。
今、一緒のバスに乗車している仲間は、デコボコ道を乗り越えて行けると、私は信じています。
そして、まだバスの座席には、若干の空席があります。
行き先を決めずに冒険旅行に出かけてみたい方は是非。
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ありがちな例え話、でも、ありがちな現実
助手「やりましたね!」
博士「何しろ、こいつは極めて高機能なのじゃよ。どんな命令でもこなすぞ」
助手「そうなんですか。しかし博士、あの腹部の辺りにある、ちょっとギザギザの切れ目は何ですか?」
博士「あれはシュレッダーじゃよ。機密情報の処理もこれでこなせるという寸法じゃ」
助手「なるほど。左側の外から3番目の手? のようなものの先っぽがスコップのような形状なのは?」
博士「いいところに気づいた。あれは、犬の散歩の際に効率的にうんちの片付けをこなすための工夫じゃ」
助手「そうすると、その横の手? のようなものの先が、黒いカップのようになっているのは、もしかすると...」
博士「そうじゃ、トイレが詰まった場合にも対応可能となっておる」
助手「もちろん、掃除系の作業しかこなせないわけではないですよね?」
博士「何を言うのだ。そんなことはない。料理もできるし、赤ん坊を抱っこしてあやすことも、お風呂に入れることもできる。そのための専用のハンドがついておるのが見えるじゃろ? 赤ん坊をあやす際にはシュレッダーの機能は自動オフとなるしの」
助手「しかし、これだけ手? のようなものを開発するのは大変だったでしょうね?」
博士「ふふ、そこじゃ。今回、このハンドシステムの原型を作成し、その応用としての独自のハンドを簡単に作成できる仕組みを用意しておる。開発の効率は実に優れたものじゃ」
助手「さすがです、ね」
博士「しかし、どうも思ったほどの反響がないのが、わしには理解できんのだ」
助手「......こいつは、ちっともクールでもセクシーでもないからですよ」
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人間って不思議
でも、不思議がってばかりじゃ、進歩がありません。
不思議を解明しようと頑張っている人たちから啓蒙して貰うの、個人的に好きだったりします。
結局、解明しきれているわけではなかったり、なんだか、びみょうーなヒントがそこにありそうな、却ってむずむずした気分になったりもするのですが...
徳力さんの Blog でも紹介されていてましたが、「アンビエント・ファインダビリティー」は、面白い本でした。

人が情報を見出すということに関して、色んな観点で考察されていて、びみょーなヒントがありそうなんですが、でもやっぱり、むずむずした気分が残っています。
で、「アンビエント・ファインダビリティー」を購入した際に、Amazon が親切に推奨してくれた「MIND HACKS」もまた、面白い本でした。

こちらは、IT に直接、関連した内容ではなく、あくまでも人の心を巡る実証可能な(再実験可能な)知見が、100のHack として列挙されています。
単純に人の心や知覚の不思議な現象を知るだけで楽しめるのですが、直接、関係ないとは言っても、やっぱり人の感覚の仕組みを、ユーザビリティとかに活かせないものかと考えてしまいます。
特に、「3章 注意」に興味深いことが列挙されています。
Hack#34:物を細かく見分ける力は、目の構造と、脳の「注意を向ける能力」によって制限される。
Hack#35:脳は少ない数なら一瞬で把握できる("サビタイジング")。
Hack#38:脳には、直前まで注意を向けていたものに再度注意を向けることを抑制する機能がある。
Hack#42:何かに注意を向けると、同時に、他を無視しようとする作用が起きる("負のプライミング")。
見つけ易さは、主客を転倒させれば、気づかれ易さになります。
ファインダビリティは、アウェアネス、アテンションにつながっているはずです。
なんだか、とても大切なヒントになりそうなのに、私自身はアイディアに転化できないでいます。
誰か、考えてみてくれませんか ?
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見る前に跳べ
ちょっと前に、スティーヴン・D・レヴィット、スティーヴン・J・ダブナー 「ヤバい経済学」という本を読みました。
アメリカの少壮の経済学者、でも従来の経済学からはアウトサイダー的なレヴィットが、比較的身近な社会の疑問について、経済学の手法で( 実は統計学で ) 斬新な回答を導き出す、という内容です。
大相撲の八百長問題、麻薬の売人の経済性、犯罪率の減少傾向の理由、親が子供に与える影響、等などテーマそのものがユニークな上に、導かれる回答が常識に反するものだったりするので、結構、楽しめます。
しかし、展開されている論理や結論が正しいかどうかよりも、問題を分析する際の柔軟な着想が見事だということに、最も感心しました。
( 因みに原題は、Freakonomics という造語で、邦題よりも洒落てるように思います )
一方で、最近、自分の発想力が硬直していることを、思い知らされています。
先例やこれまでの慣習の重力圏を脱する、発想の跳躍力がないというか...
新しい製品を構想したり、ユーザーインターフェースを工夫したりするチャンスに恵まれているのに、超越すべき既存製品で確立された世界観から逃れられていないのです。
その世界観がベストの解であるならば仕方がありませんが、多分、そんなことはないはずです。
なのにその世界観に囚われている私は、地動説を疑うことを知らずにいたコペルニクス以前の天文学者のようなものです。
今、自分にとって必要なのは、柔軟性なのか、跳躍力なのか、どちらもなのか。
あるいは、バンジーっ、とか叫んでとりあえず跳んでみる勇気なのか。何なんでしょ?
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インターフェースデザインに物申す
D.A.ノーマン「誰のためのデザイン」を読んでみました。
ユーザーインターフェースを考える上で避けては通れないかもしれない(?)、という噂もあったので。
可視化とか、メンタルモデルとデザインの対応づけとか、ユーザへのフィードバックとか、そんなことが重要だ、ということが述べられていていました。 正直、その理屈に目から鱗が落ちるほどの感銘は感じられませんでしたが、言っていることは正しいように思います。
何しろ、書かれていることの事例として、すぐにすごく身近なことが思い起こされた位ですから。
というのも私は、オフィスの入口のガラス張りのドアを、ごくたまーに、手前に引いて開けようとして、ガッと嫌な手応えを感じてしまうことがあるのです。そのドアは、外から中へ入る際には押し、中から外へ出る際には引かなければならないのですが、逆に中から外へ出る時に押してしまった記憶はありません。
「誰のためのデザイン」を読んだ今となっては、それもそのはずだと得心できます。そのドアは、構造的な見た目も、縦型のパイプのような取っ手の形状も、内と外で全く同じなのです。で、縦型の握り易そうな取っ手というものは、人に「引いてください」ということをアフォードするらしいのですから。
まったく、外側の取っ手の形状をきちんと考えるべきでしたね、EG ビルのデザイナー氏は。
実に嘆かわしいことです。ノーマンの本を読んで貰いたいものです。
それから、このビルの警備システムも、インターフェースデザインがなってません。
警備のオン・オフを、小さな磁気カードを制御装置のリーダーみたいなところに通すことで行うのですが、オン・オフのどちらの操作となったのかのフィードバックがないのです。
それと、ビルのエントランスで階数を指定して警備を解除する操作が必要なことがあるのですが、その操作は、ノーマンに教えたら喜んで事例として本に掲載してくれたであろうという駄目さ加減です。
まず、例の磁気カードを制御装置のリーダーに通します。
それから、制御装置のテンキーで、「*」を押し、それから対象階数を入力し、最後に「#」を押します。
問題は、このテンキーには、一切、入力のフィードバックがないのです。キーレスポンスの音がなる訳でもなく、入力された内容を表示するディスプレイのようなものも一切ありません。しかも、そのテンキーはカード型の電卓のような方式のやつで、そもそも、キーを押した感触が極めて曖昧なのです。
という訳で、果たしてきちんと押せたのか、ちっともわかりません。さらに一連の操作がきちんと完了したとしても、そのこともフィードバックがないのですから、自分の自信だけが頼りという実に頼りない状況となってしまいます。
まったく、この警備システムのデザイナーは、利用者のことをまったく考えちゃいなかったんでしょう。
実に嘆かわしいことです。やっぱり、ノーマンの本を読んで貰いたいものです。
と、文句を言う立場だと色々と思いつくのに、言われる立場、というか、言われないように配慮しなければならない立場だと、途端に想像力が貧困になっちゃうのは、一体、どうしたことなんでしょうね?
いや、嘆かわしいことです、困ったことです。でも、ノーマンの本を読んだからって、そうそう簡単に改善できるってもんじゃあ...
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情けは人のためならず
恥ずかしながら、「情けは人のためならず」という格言を、ずっと誤解していました。
温情をかけても、それは結局は相手を甘やかすことになって、却ってその人の成長をスポイルしちゃうよ、という意味だと思っていたのです。
近頃では、私と同じように誤解している人も多いようなのですが、この格言は、他人にかけた情けというものは巡りめぐって自分に返ってくるものなのだから、自分のためと思ってどんどん他人には優しくしなさい、という意味らしいですね。
いや全く、本来の意味の方が、思いやりに溢れたいい考え方のように思えます。誤った解釈の方は、なんだか、ドライな自己責任を強調しているようで、まさに現代社会を象徴しているようですよね。
例えば国際援助においても、「情けは人のためならず」は成立するのかもしれません。
大胆な国際援助を組み込んだ開発プランを提唱しているジェフリー・サックスというエコノミストが書いた「貧困の終焉」という本の中で、国際援助はゼロサム・ゲームではないということが主張されていました。
地政学的な安定性という観点も含めて、貧困の減少は世界全体の安定に寄与する可能性が高く、結果的に援助提供国にとっても損ではないはずなのです。
さて、国際的な富の偏在から職場での知識の偏在に、グッと話を矮小化しましょう。
実力主義・成果主義を旨とする競争的な職場環境での弊害として、個人での知識の占有があげられたりもします。
狭量な自己保身意識が、知識の援助提供を阻むのかもしれません。
あるいは自己中心的な世界観が、そうさせるのかもしれません。
それとも幼稚な損得勘定が、そうさせるのかもしれません。
最近では、そんな職場は少なくなったのでしょうか?
少なくともアリエルでは、知識は偏在しているようですが、幸いにも、知識の援助提供を渋る狭量な人はいないようです。
サックス先生も大喜びするほどの、援助提供っぷりです。私もありがたく享受させて貰っています。
さあ皆さん、今後もどんどん情けかけまくりましょう!
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